高校卒業と同時に、紡績機械をつくる会社に勤めて寮生活をしながら、夜間大学にすすみました。会社は、私が政治を変える運動に参加していることを知り、退職を強要してきました。
私を支えてくれたのは、大学の共産党員たちでした。彼らに励まされ、19歳の時に入党しました。〝働く者が幸せになれる社会をつくりたい〟という思いが、私の日本共産党員としての原点です。
大学を中退後、自治体の労働組合、自治労連愛知県本部の運動に30年間参加しました。
オイルショック大不況の1975年頃、名古屋駅は失業して住まいも失った人たちがあふれていました。私は76年2月9日の夕方から9時間かけて彼らの悲痛な叫びを聞き、労働組合の新聞を通じて世間に知らせ、こんな理不尽な社会を変えようと訴えました。
その後も、路上や公園で生活する人、仕事がなく職安前で途方に暮れる人たちの実態と怒りを労働組合の集会や学習会などで紹介し続けてきました。
私は、『格差と貧困をただす経済民主主義の改革を』という日本共産党の政策に特別な思いを込めて訴えていきたいと思います。
【田上(たがみ)さんの略歴】党尾張中部地区副委員長、64歳