安倍政権が今国会で成立を狙う「共謀罪」法案の廃案を迫る世論と運動が急速に広がっています。同法案は「現代版治安維持法」といわれます。治安維持法国家賠償要求同盟愛知県本部の西田一廣会長の寄稿を紹介します。
敗戦後も固執
安倍政権が強行成立を狙うテロ等組織犯罪防止法=「共謀罪」法案は、戦前の国民弾圧体制の中心となった治安維持法の再現となりうるものです。
1945年日本は敗戦し、8月14日にポツダム宣言を受諾しました。同宣言は、言論や思想の自由、人権の確立などを日本政府に求めました。
しかし、当時の東久邇内閣は治安維持法の存続をはかり政治犯を釈放しませんでした。
45年10月4日、GHQ(日本を占領した連合国軍総司令部)は、政治犯の即時釈放、治安維持法の廃止などを求める「人権指令」を発しました。東久邇内閣は総辞職となりました。
後継の幣原内閣がGHQ指令にもとづいて政治犯を釈放したのはようやく10月10日、治安維持法の廃止は11月15日のことでした。
今も反省なし
同法により 不当に罰せられた人たちは、「将来ニ向ヒテソノ刑ノ言ヒ渡シヲ受ケザリシモノト見做(な)ス」とされました。
ところが、現在もなお日本政府は 「当時において適法的に行われたもので謝罪や賠償にはあたらない」として、治安維持法を人権侵害の悪法と認めず、同法関連資料の公開も拒み続けています。
愛知 900件
治安維持法による逮捕者数は未送検を含め全国で数10万人、拷問などによる虐殺、獄死者は約1800人とされています。当時、犠牲者の葬式も墓建立も許されませんでした。
私たちは愛知の実態を発掘し、現在約900件の記録があります。日本共産党中央委員だった岩田義道は「取調べ」の名による激しい拷問によって虐殺されました。その他10数名の虐殺死、獄死、釈放や出獄直後の死亡が判明しています。
歯止めなかった
安倍首相は「共謀罪」法案は「一般人に無関係」と説明します。治安維持法制定時も当時の政府は同じ説明を繰り返しました。しかし、凶暴な弾圧はエスカレートし、何の歯止めにもなりませんでした。
釈放後も「国内居住は不適当」として、アジア南方へ「島流し」された人まであります。
社会の正義と進歩に献身した英雄的な人々を「赤魔」と宣伝し、国民の意識にしみこませた偏見は、日本の民主主義の発展の妨げとなってきました。
戦犯 政権中枢に
治安維持法による弾圧の中心にいた特別高等警察(特高)の警察官や思想検事らは特高解体後1人も罷免されませんでした。
東京裁判の戦犯である岸信介は首相に就任。元特高の54名は国会議員になり、戦前の高級官僚はそのまま政権中枢を占めました。治安維持法は生き続けています。
「共謀罪」法案の危険を多くの人に知らせ、必ず廃案にしなくてはなりません。
治安維持法とは
絶対主義的天皇制の下で1925年に制定された治安立法。「国体を変革」「私有財産制を否認」という目的を持った結社の組織、加入とその協議、宣伝、扇動、財政援助などを禁じました。28年に最高刑は10年から死刑へと引き上げられました。
共産主義の運動だけでなく、思想そのものを犯罪として弾圧をおこないました。
43年の創価教育学会事件をはじめ、キリスト教徒、仏教徒など多くの宗教者を弾圧。44年前後の横浜事件では、知識人、自由主義者、ジャーナリストを大量検挙し、「中央公論」「改造」は廃刊に追い込まれました。
戦後GHQの指令によって1945年11月に廃止となりました。