5月22日、核兵器禁止条約国連会議のエレン・ホワイト議長は同条約草案を発表。6月15日~7月7日開催の同会議で採択をめざします。被爆者の水野克巳さん(76)に、被爆体験と核兵器禁止条約への思いを語ってもらいました。(本紙・錦見友徳)
私は、5歳の時に母や妹とともに広島で被爆しました。
私自身には被爆当日の記憶はありませんが、母に聞かされて育ちました。
1945年8月6日の広島は、どんより曇って暑かった。空襲警報が解除され、防空壕から家にもどった時に〝パッ〟と閃光が走ったと言いました。続く爆風で母は押入れの中へ飛ばされ、割れた窓ガラスの破片がいくつも体に突き刺さり、服は血に染まりました。
しかし、母は夢中で私と妹を探したそうです。見つけた時、私は「お母さん、アメリカが僕に爆弾をぶつけた」と言って走り寄ってきたと教えてくれました。3歳の妹も見つかりました。
「家の外には、顔の皮膚がむけ、衣服は破れ、焼けただれた体で倒れている人が幾人もおり、身の毛もよだつ悲惨な情景だった」と母は話しました。
母は生前、「核兵器使用は絶対に許せないし、地球の平和を守るために被爆者として運動を続けていかなければならない」と語りました。ヒロシマ・ナガサキを2度と繰り返してはなりません。
国連によって核兵器禁止条約の草案が発表されたことを心から歓迎します。国連会議最終日の7月7日、条約が採択されることは、すべての被爆者の願いです。