愛知民報

【18.02.11】愛知出身ハンセン病元患者 平野さとしさん 強制隔離の体験語る 

 東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館で1月17日、「ハンセン病体験講話」があり、資料館に隣接する国立療養所多磨全生園の在住者で愛知県出身の平野さとしさん(79)が自身の体験を語りました。
    ◇
 小学3年生のときハンセン病を発病。当時の強制隔離政策のもと、静岡県御殿場の駿河療養所に収容されました。子ども用の宿舎はなく、大人たちと一緒に12畳の長屋で暮らしていました。軽症患者が重症患者を世話するという時代でした。明日にも亡くなるかも知れない患者の横で夜を過ごさなければならず、怖い思いがしました。
 駿河療養所から岡山愛生園に移り、全国で始めてハンセン病療養所内にできた高校に通学しました。卒業後は駿河に戻りました。
 社会復帰をめざして療養所を出て、街の木工所や鉄工所で働きました。けれど、手が麻痺しているため無理をしてハンセン病が再発。2年ほどでふたたび駿河療養所に。
 1950年から多磨全生園に移りました。48年にハンセン病の治療薬プロミンの注射が開発されました。当時、注射器は熱湯消毒はしていましたが、使い回しでした。C型肝炎に感染し亡くなった人もいて、モルモットのように実験台として薬が服用された時もあります。
 現在、全生園の入所者は172人。最高齢は106歳。私は若い方で79歳です。私は現在、園の福祉課の事務補助をおこない、体の弱い人や盲人の面倒を見ることが現在の仕事になっています。あと何年かすると園の自治会の存続があぶない状況になっています。 
    ◇
 愛知では昨年3月、市民によるハンセン病問題シンポジウム(愛知民報社協賛)がおこなわれました。愛知におけるハンセン病患者の人権回復の運動の記録をまとめる作業がはじまっています。