動員学徒199人も犠牲に
1945年の大空襲で大きな被害を受けた名古屋市熱田区の愛知時計電機に隣接した堀川沿いで4日、熱田空襲の現場見学会がありました。主催は日本共産党愛知4区委員会。
名古屋市南部には軍需工場が集中していました。愛知時計電機もその一つで当時の海軍指令下で魚雷、機雷、砲弾、軍用機などの兵器を作っていました。
1945年6月9日午前9時30分、42機のB29爆撃機が飛来し合計271?の爆弾を落とし、工場は壊滅。従業員と地域住民の2000人以上が死亡し、学徒動員で働かされていた199人も犠牲になりました。軍需工場への?狙い撃ち?でした。
遊歩道には空襲で被弾したコンクリート堤防の一部が記念碑として保存されています。13歳で空襲に合い、体験の記録活動を行っている「熱田空襲を記録する会」の小島守さん(81)と、工場で爆撃を受け負傷した後藤幸雄さん(82)が周囲一面火の海になった恐怖の体験を語り「不条理な体験の恨みがあるから語り続けている。なぜ戦争が起きたか一人でも多くの人に分かってほしい」と訴えました。
参加者からは「工場で作られていたものが爆撃機であり、侵略戦争の拠点になっていた事実を忘れてはいけない」といった発言が出されました。
日本共産党のかわえ明美衆院東海比例予定候補は「日本が戦争できる国に変えられようとしている。これを絶対に許さない」とあいさつ。西田とし子衆院愛知4区予定候補、もとむら伸子参院愛知選挙区予定候補も参加しました。