愛知民報

【11.09.04】論壇 田中邦雄さん(阿久比町在住・85歳) 元兵士の勇気ある証言に敬意 戦場の極限の飢餓、人肉食い

 
 政治のあり方が根本から模索され、逆もどりのあがきも激しい中、終戦後66年間口をつぐんできた元兵士の方がたから、侵略戦争の真実の告白が増えてきました。

 中日新聞の「餓島からの帰還」の連載(8月10~14日)は、愛知県体育館にあった歩兵第6連隊を基盤に編成された歩兵第228連隊などがソロモン群島に送り込まれ、言語に絶する飢餓と凄惨な戦闘の中、3万の軍が戦死5000人、餓死病死1万5000人の犠牲を出し、撤退に到った事実を多くの参加者が証言しました。

 その中で注目したのは、「人肉を食べた」証言です。日本軍の戦争犯罪の中でも、ガダルカナル島やインパール作戦、フィリピンで、日本兵が餓えから死者の人肉を食したのは公然の秘密ですが、軍関係者が頑固に否定し、巨大マスコミには一度も報道されませんでした。

 侵略戦争を「天皇のため」「国のため」と信じて戦った人たちは、多くが誠実な青年、やさしい父親でした。それが極限状態におかれたとはいえ、「人間が人間の肉を食べた」ことは、誰にも言えることでなく、この記事でも「多数の証言」としながらも、氏名の公表は避けています。まさに長い人生の上に、語られた方がたの勇気に敬意を表します。

 「餓えて人肉を食べた」事実はこれまでも証言があります。

 光文社FN文庫『最悪の戦場に奇蹟はなかった』(高崎伝著)は、福岡県博多124連隊の兵士としてガダルカナル・インパール作戦に参加した筆者が「アメリカのパイロットの人肉試食事件」「当時としては、けっして不思議ではなかった」と、赤裸々に記録しています。

 大岡昇平の『レイテ戦記』(中公文庫)も「レイテ戦末期で最も怖ろしい人肉喰いのうわさ…実行者は告白しないし、目撃証人もいない」「人肉喰いは太平洋戦争でわれわれが残した最も忌むべき行為の一つである」と書いています。

 私が参加する、あぐい憲法九条を守る会も2008年7月、ルソン島生存者であった阿久比町在住のYさんから「他の部隊の兵士から人肉の鍋を勧められた」という体験談をお聞きしました。

 これらの多くは「伝聞」でした。今回の「中日」報道は「元上等兵自らの行為」です。戦争に行って直接前線に参加しながら、その体験を絶対に口にしない人はほんとうに多いのです。大新聞としておそらく初めての今回の報道は、その「皇軍の聖戦」「神話」に対する真実の回答と感じました。