被災者に元気もらう 農業の意欲 農業への誇り
東日本大震災から4カ月。愛知県から多くの若者が救援・復興支援に参加しています。4日から救援ボランティアに参加した日本共産党愛知県委員会の小田前恵子さんにリポートしてもらいました。
私を含めて5人が3日から4日間、宮城県の仙台南部地域に入りました。
3日午後8時に名古屋市を車で出発。宮城県柴田町の日本共産党仙南地区東日本大震災救援・復興ボランティアセンターに着いたのは早朝4時でした。
朝9時から同センターでミーティングをおこないました。初めに地震や津波の被災地の状況を撮影したDVDを観ました。
被災から4カ月近く過ぎますが、甚大な被災状況に驚くとともに、今回のボランティアが少しでも復興に役立てばいいなとの思いがつのりました。
作業の説明を受けた後、私と日本福祉大4年生の光永福子さん、病院職員の丹羽史架さんの3人で亘理町に支援に行きました。
3日間とも同町のイチゴ農家のビニールハウスの復旧作業です。
4日に作業した農家のビニールハウス内は津波により畝(うね)と通路に10センチメートルほど泥が積もって固まっています。泥は黒色です。ヘドロや流れ出たアブラなどが固まったものだそうです。この日の主な作業はヘドロをかき出し取り除く作業でした。
5日に行ったイチゴ農家は泥の堆積はなく、イチゴの出荷が今年のクリスマスに間に合うよう復旧を急いでいました。農家の方は「地下水も塩分が入っているので、生育しても商品になるか不安」と話していました。イチゴの苗に汲み上げた地下水をやりながら、なめてみると塩辛い味がしました。
農地が元通りになり、イチゴを出荷できるようにするためにはボランティアとともに行政の支援が重要だと感じました。
光永さんは「復興には時間も資金もかかります。ボランティアが入ることで一歩ずつ前に進んでいることを実感しました」と話しています。
丹羽さんは「やり直そうと決めた農家の強い思いと農業への誇りを感じました。被災者の方の明るさや笑顔に逆に元気をもらいました」と語っています。
被災の軽飛行機 津波の破壊力に身震い
東日本大震災時、仙台空港の軽飛行機が津波に流されていく模様が放映された。私は本紙4月3日号「読者の一筆」に投稿し、巨大地震の際の中部国際空港の危険を警告した。
6月、仙台南部の被災地復興支援に参加した折、空港脇の空き地に、主翼のないスクラップ同然の軽飛行機(写真)があった。仙台空港のある名取市ではおよそ千人が犠牲になった。津波の破壊力の凄さに身震いした。
県民の安全確保を基本に、空港対策を含め愛知の震災対策をしっかりやらなればならない。
(元愛知県議・林信敏)