大震災から3カ月 復興への思い熱く
東日本大震災から3カ月、甚大な津波被害の太平洋沿岸部は、大量のがれきに阻まれ、生活再建への苦闘が続いています。太平洋に面し巨大地震が想定される愛知県も“人ごと”ではありません。国民の命と財産を守るために政治は何をすべきかを探ることを目的に、岩手、宮城両県の沿岸部を取材しました。
(本紙記者・村瀬和弘)
消えた市街地
岩手県陸前高田市の世帯数は8068世帯。津波被害で「全壊」は3614世帯、被災した世帯の89・76%が全壊。陸前高田の街は、自然の脅威に完膚なきまでに叩きのめされました。
記者は7日、東北新幹線水沢江刺駅に近い奥州市を出発。内陸部ではスーパーやコンビニエンスストアなどが復旧、営業しており、一見しただけでは被災しているとは思えません。
市内に入って、目を疑いました。街全体が更地になっています。地図の上では公共施設や商業施設などがあるはずの場所です。ところどころに、骨組みだけになったビルやホテルが残っています。JR陸前高田駅は駅舎が流失し、建物の基礎部分だけが残っていました。線路は泥に埋まり曲がっていました。
廃虚となった街で動いているのは、ガレキを撤去するパワーショベルとそれを運ぶダンプカー。カーナビゲーションシステムがなければ自分が現在いる位置もわからなくなってしまう状態でした。
支援の輪広げ
市役所、郵便局、銀行、コンビニエンスストアなどは高台に建てた仮設のプレハブで再開していました。
日本共産党は藤倉泰治陸前高田市議が本部長を務め、三陸沿岸市町の議員団が参加する災害対策本部を設置。広範な市民で作る革新市政の母体となった「あたらしい陸前高田市をつくる市民の声」とともに共同支援センターを開設しています。同センターでは連日「青空市」を開いています。
被災者は全国から届いた服などの救援物資から必要なものを家族の人数分受け取っています。担当の女性は「くつ、作業服、下着、タオル、タオルケットが不足しています。飯わん、汁わんも不足」と話していました。
物資を見にやってきた女性は「仮設住宅は壁が薄いので、気心知れた人同士で入居しないと大変」と厳しい実情を話していました。
街の点検を
「市民の声」の菅野隆介会長(63)は「海が見えない地区まで津波が来ました。『ここまでは来ないだろう』と家屋の2階、3階にいた人が家ごと流された。現場を見てもらいたい」と語ります。
同会長は「全国の市町村で地域防災計画を再点検してもらいたい。陸前高田と同じ目には遭ってもらいたくない」と続けました。
現地では冷静でいられたのに、本稿を執筆しはじめると泣けて仕方がありません。かつて私も観光で訪れたことのある、風光明媚な三陸海岸に戻ってほしい。そして復興を願いたい。