広島、長崎の被爆から65年。各地で「今こそ核兵器のない世界を! 広島、長崎を繰り返すな」と様々な取り組みがおこなわれました。
原水爆禁止世界大会
「被爆者とともに、そして若いエネルギーを結集し、『核兵器のない世界』の実現を」と広島・長崎両市で4日から原水爆禁止2010年世界大会が開かれました。
大会では、核不拡散条約(NPT)再検討会議をうけて核兵器廃絶が現実的目標となったことへの確信が語られ、草の根からの共同行動を呼びかける宣言が採択されました。
大会に県内からバスツアーなどで100人以上の青年が参加しました。
心に刻む(保育士・男性)
私たちは、高齢の被爆者から話を直接聞くことのできる最後の世代ではないでしょうか。私たちが体験を受け継ぐ大切さを深く心に刻むことができました。広島市平和資料館に展示されていた大きな白い布に書かれた「復興」の文字に感銘を受けました。原爆投下の翌日に書かれたとのこと。焼け野原を目の前に、復興を展望する人のすごさを感じました。
意識改革(大学1年・女性)
大会に参加し、学び、交流するなかで核兵器の怖さと平和の大切さを知りました。私は核や平和問題に余り関心がありませんでしたが、意識改革をした思いです。
実態伝える(大学3年・女性)
被爆により普通の市民が一生、苦しみや差別、偏見から逃れられない現状を知りました。忘れたくても忘れられない苦しみを背負わせる核兵器は絶対になくさねばなりません。私にとって事実を知った今がスタートです。身近な友達に実態を伝えていきます。
平和の鐘つき
ゴーン、ゴーン。広島に原爆が投下された6日午前8時15分、あま市の多くの寺院の鐘がいっせいに鳴り響きました。同市の実成寺などの寺院でおこなわれている「平和の鐘つき」です。
「甚目寺平和の会」の呼びかけで15年前から続けられ、実成寺では戦争体験をしたお年寄りから小学生まで40人が核兵器廃絶の願いを込め交代で鐘を突きました。
戦跡めぐり
終戦の日の15日、コープあいちくらし相談室長の大島良満さん(74)の案内で、名古屋市内の戦跡めぐりがおこなわれました。
大島さんは小学生の時に空襲で家を失い、友だちを亡くしました。「戦争は絶対に起こしてはならない」と21年前から、毎年8月15日に戦跡めぐりをおこなっています。
参加者は、旧日本海軍の戦闘機「ゼロ戦」を生産していた三菱重工大曽根工場など10カ所を訪ねました。同工場では1945年の空襲で勤労学徒ら300人が死亡しています。