芝野一三さんは大須事件被告団団長であった。1952年7月7日七夕の夜、大須球場(現西本願寺)で戦後初めて中国を訪れた代議士による報告集会が開かれた。
集会後「中国との国交回復をせよ」などのスローガンのもとに行われた平和的デモ行進に、清水栄警視の拳銃発射を契機に警官隊がデモ隊に突入、引き起こされた弾圧事件である。
150人が起訴、裁判に掛けられ、78年9月最高裁の判決が出るまで「集会、デモの自由をまもれ」を中心に当時の総評をはじめ全国的な裁判闘争の中心になって奮闘されたのが芝野一三さんであった。
私も一緒に闘った一人だが、被告団は勿論、支援団体の人々からも絶大な信頼を受け、その意思を継いで今の愛知における救援活動の基礎を作られたひとである。
九十一歳、長寿を全うされたが、今は唯、ご冥福を祈るだけである。