アメリカの水爆実験によるビキニ被爆から54年を迎え、静岡県内で1、2の両日「ビキニデー集会」が開かれました。集会は「原水爆の被害者は私を最後に」の言葉を残して亡くなった久保山愛吉さんの死を悼み、核廃絶を誓う献花墓参平和行進で始まりました。同集会に参加した日本共産党愛知県委員会青年学生部の藤井博樹さんのレポートを紹介します。
自衛艦衝突と重なる
1日朝、焼津駅南口前。色鮮やかな旗やノボリがひるがえり、墓前に捧げるバラを持った女性ら全国から集まった人たちが、行進のスタートを待っていました。
行進が始まると、愛知県から参加した青年ら約100人は沿道の人々に手を振り、愛知県高校生平和ゼミナールメンバーがギターを弾きピースソングを歌って行進を盛り上げました。
第五福竜丸の母港・焼津港と、イージス艦あたご衝突事故で沈没した清徳丸の母港、千葉県川津港とが重なります。「水爆」、「イージス艦」と兵器の種類は違えども、「兵器による一般国民の理不尽な被害は同じ」と考えると、これらの兵器は明らかに不必要だという想いが強くなりました。
核より強い平和憲法
2日に開かれた「2008年3・1ビキニデー日本原水協全国集会」の全体集会では、第五福竜丸元乗組員の大石又七さんがビキニの被爆体験を語り、「核の傘が日本を守るというが、穴だらけの傘はいらない。放射能が雨漏りをする核の傘や核兵器より強い平和憲法が日本にある」と訴えると会場は、大きな拍手に包まれました。
年齢差を超え運動
集会では青年が壇上でリレートーク。愛知県学生自治会連合の山田剛さんは「青年も、ご年配の方も年齢差を越えて、核兵器廃絶の運動を頑張りましょう」と発言しました。
愛知県高校生平和ゼミナールメンバーが日頃の平和活動を報告。女子高校生は「実は明日、卒業式がありますが、核兵器をなくしたいので頑張って静岡に来ました」と発言。会場からは大きな声援が送られました。
参加した青年は「被爆国である日本がアメリカの言いなりになっているのはおかしい」「私たちの力は大きな力ではないかもしれないが、継続は力、市民一人一人に伝えていくことが大事」「自分たちが平和の砦になって、憲法を守りたい」との声が寄せられました。