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【02.11.24】岩田義道没後70周年 墓前祭に150人が躍進を誓う

2002年11月24日 「愛知民報」

 日本共産党愛知県委員会、同岐阜県委員会などが17日、一宮市の宝江墓地で岩田義道没後70周年記念墓前祭を催しました。

 岩中正己中央幹部会委員・愛知県委員長が党を代表し、「岩田同志の思いを胸にきざみ、いっせい地方選挙、総選挙で躍進をかちとる決意」と追悼の辞をのべました。

 岩田義道は1898年、現一宮市北方町の生まれ。地元で代用教員を勤め、苦学して旧制松山高等学校を卒業。京都大に入学し、社会科学研究会を創設。27年に入党。31年には党中央委員として「赤旗(せっき)」を復刊、活版化を実現し、部数を7千部に拡大しました。32年10月30日、東京で検挙され、11月3日、拷問により虐殺されました。34歳でした。

 この間、木曽川で船頭をしていた父親のために恩師の河上肇教授に借金、舟を贈ったというエピソードもあります。

 墓前には、宇野三郎・党中央名誉役員(社会科学研究所前所長)が、葬儀の際に棺を覆った赤旗(あかはた)のカラーコピーを捧げました。この赤旗は中央委員会の資料室に保管されているといいます。また岩田義道が学んだ松山高等学校にちなんで、愛媛県からの参列者がみかんを供えました。

 墓前祭には党や治安維持法犠牲者国賠同盟、国民救援会、地元の町内会や墓地管理組合などの約150人が参列。地元一宮尾北地区委員会の伊藤健次委員長は開会あいさつで「この地域の人たちが『昔、ここによしみっちゃんという共産党がいた』と親しみをこめて言うのを聞いて深く感動した」とのべました。参列者たちは菊を1本ずつ献花しました。

 同日、宇野氏による記念講演会もありました。

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