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議席めざして−「住民こそ主人公」の地方政治を
若さと行動力が魅力−斎藤ひろむさん(県議選 豊橋市-定数5-)
■対話重ね、早朝から街頭宣伝 「住んでよかった」といえる東三河に
「自民、公明による命を削る医療費値上げは絶対許せません」。朝7時からの街頭宣伝を皮切りに精力的に市内を駆け回ります。
昨年2月、立候補を表明して以来、たくさんの有権者と対話を重ねてきました。ものおじせず、だれとでも話のできる気さくさが持ち味。豊橋市で6期県議を務めた和出徳一さんがエールを送ります。
「若さと行動力が斎藤さんの魅力です。日本共産党の県会議席奪還は県民無視の現県政を改めさせ、東三河地域の発展にとっても大切です」
■社会変革が仕事
酷寒の地旭川市で4人兄弟の長男として生まれました。両親は教員。母親たちの新日本婦人の会の活動で設立された「たんぽぽ保育園」に入園しました。
小学生のときのお気に入りはマンガの「鉄腕アトム」と「はだしのゲン」。「平和の大切さ、科学と人間のありかたを考えるようになりました」。アトムが誕生するはずのことし、斎藤さんは県会議席に挑戦します。
名大2年のとき、大学生協の委員になり、新南部食堂の建設、平和や自然環境の問題に取り組みました。
「当時、学問研究しながら社会にも働きかける沢田昭二先生(現名大名誉教授)がひとつの理想像でした」
「はだしのゲン」には、広島原爆で母親が家の下敷きになり、迫る火の手から助け出せなかったつらいシーンがあります。沢田先生はこれとそっくりの体験をし、原子物理学者になった人です。
「社会変革そのものを仕事に」と民青同盟に飛び込みました。名古屋港に残された藤前干潟をごみ埋め立てから守ろうと連日のように署名行動に立ちました。市民の反対運動で埋め立ては中止になり、「政治も社会も変えられる」と確信しました。
■決意を新たに
豊橋から日本共産党の県議がいなくなったこの4年間、万博・空港など「開発会社化」した自民、公明、民主のオール与党県政のもとで福祉、教育が次つぎ削られてきました。
東三河でも県立保育大学校、県立総合保健センター、渥美軽費老人ホームと次つぎ廃止。県立高校の統廃合をすすめています。
設楽ダム、汐川干潟、農業、東海地震……。東三河には問題が山積しています。
「オール与党が独占する議席の一角に食い込んで、むだな大型公共事業に税金を使うのをやめさせ、子どもからお年寄りまで住んでよかったといえる東三河にしたい」
告示まで10日余。斎藤さんは決意を新たにしています。
●略 歴●
1971年、北海道生まれ。旭川東高校卒。名古屋大学工学部に入学。全国青年環境連盟中日本ブロック副代表として環境問題の学習会、藤前干潟や海上の森のフィールドワークを企画。卒業後、名大生協に就職。日本民主青年同盟名古屋北地区委員長、同県常任委員。2000年総選挙で愛知15区から立候補。現在、党東三地区常任委員、党豊橋市委員長。趣味は読書(自然科学系)。家族は妻。豊橋市野田町在住。