原発ゼロの社会の実現を訴える、たけだ良介参院議員。忘れられない出来事があります。
「栄村が壊れていく」
長野県北部地震(2011年3月12日)の影響で住人が村から離れていく状況に地元の元議員が語った悲痛な言葉です。青年ボランティアとして栄村に駆け付けた時に聞いたものです。
東日本大震災の翌日、最大深度6強の直下型地震に襲われた栄村は多くの家屋が倒壊し道路や橋も損壊。取り壊された住宅や田植えの出来ない田んぼが広がりました。
それから5年、住民をはじめ村や県も努力し、復興の歩みを進めた栄村。しかし、それとは対照的に東北では未だに故郷が壊されている状況が続く町があります。
■ 被災者の苦しみ
16年3月、参院候補だった、たけださんは、いわぶち友さんらと一緒に福島県を訪れ、福島市、川俣町、飯舘村、南相馬市、いわき市を視察。浪江町から避難している被災者から2時間弱にわたり、苦しい胸の内を聞きました。
「除染のために田んぼの土が取られる。あの土は私たちが買って入れたんだ。許せない」「町に戻るか否か。家を建てただけでは暮らしていけない」
何度も繰り返される「原発事故さえなければ」の言葉。住まいや生業、人とのつながりを自然災害ではなく原発事故で奪われた浪江町の被災者。たけださんは改めて原発ゼロの実現を強く決意します。
東海北陸信越は、浜岡(静岡)、大飯、高浜、美浜、敦賀(以上福井)、柏崎刈羽(新潟)、志賀(石川)の各原発が立地する「原発列島日本」の〝縮図〟です。事故となれば被害は計り知れません。その年の選挙で当選した、たけだ議員は、事故の反省もなく、新たな安全神話で再稼働や輸出、新増設に突き進む自公政権・電力会社と国会で対峙してきました。
16年9月には党国会議員団として柏崎刈羽原発を調査。中越沖地震(07年)で液状化した箇所をはじめ原発建屋内に入り、大地震が発生した場合の対策を東電から聞き取りました。地下水くみ上げ量が他の原発に比べ多く、1日平均4千㌧近くになることもあるのに、東電は地下水が流れ込む仕組みも解明できないまま、不十分な対策で再稼働を進めようとしていました。
17年2月には免震重要棟の耐震性不足隠ぺい問題も発覚。たけだ議員は環境委員会で、ずさんな対策を告発し、再稼働を急ぐ東電を批判します。
■ 続く隠ぺい体質
東電の隠ぺい体質は続きます。18年3月、排気装置が地震による液状化で機能しない恐れがあるにも関わらず隠していた問題を追及。たけだ議員は、「東電に原発運用の適格性はない」として再稼働中止を求めます。
新潟県柏崎市長とも懇談し、原発事故が発生した場合、積雪時は「避難できない」とする市長や住民の声を国会に届け政府の決めた避難計画の実効性をただします。テロ対策装置が長期間にわたり故障していた問題では藤野保史衆院議員(当時)、井上哲士参院議員とともに東電と国の責任を追及してきました。
国会議員になる前から、浜岡原発の廃炉を求める「ひまわり集会」や官邸前行動に参加してきた、たけださん。原発の永久停止・廃炉を求めた人間の鎖に、意見の違いを乗り越えて手をつなぐ市民の連帯を実感。官邸前では「再稼働反対」のコールの先導を水も飲まず2時間続けたこともあります。
貫く思いは「みんなで手をつないで運動して一緒に止めたい」。原発ゼロを実現させるまで市民と声を上げ続けます。
(次回は9日付の予定)
(2月4日 しんぶん赤旗)