■ “日常を戻して”
「国と東電は事故の責任を認めてほしい」「私たちの福島を返してほしい」―。東京電力・福島第1原発事故から10年。福島県から愛知・岐阜・静岡の3県に避難してきた人たちが、裁判で国と東電の責任と賠償を求めてたたかい続けています。
福島県伊達市から避難している岡本早苗さん(42)は「ただ普通に過ごしたいという権利が事故で奪われたんです。国と東電は人権侵害の責任を認めてほしい」と話します。
「私にとって毎日がキラキラしていて、すべてが何ものにも代えがたい時間でした」。震災2日前には、5人目の子を妊娠していることもわかりました。
「原発事故さえなければ、今でも大好きな福島で笑って過ごせていたはずです。安全神話をうたい続け、最大限の対策を講じなかった国と東電には、被害に見合った賠償をしてほしい」
■ 夢を奪われた
愛知・岐阜・静岡の3県に避難した42世帯128人が国と東電を相手取り、約14億4000万円の損害賠償を求めて提訴したのは2013年。名古屋地裁判決(19年8月)は、国の責任を認めず、東電には原告109人に1人あたり最大100万円の慰謝料を命じ、19人の請求を棄却しました。
「仕事も学校もなくなった。国に責任がないというのは許せない」「将来は地元で働きたかった。そんな当たり前の夢を原発事故に奪われた」「今でも被曝(ひばく)という見えない敵とたたかっている」として、41世帯126人が控訴しました。
原告のうち、岡本さんら7世帯23人は、この訴訟を人権問題としてとらえ、「だまっちゃおれん!原発事故人権侵害訴訟・愛知岐阜」原告団を結成しています。
■ 苦労に報いよ
名古屋高裁で2月1日に第1回口頭弁論が開かれ、原告が避難時の葛藤や避難生活の状況など、涙を浮かべながら陳述しました。
福島県北部からの避難者は「事故後、息をするのも怖く、制限された生活でした。何よりも娘の健康にはかえられない、安心したい、精神的苦痛から逃れたい思いから、悩みに悩んだ末、1年後に避難しました」「一緒に暮らしていたしゅうとめを、一人おいてくることに罪悪感しかありませんでした。がんを患っているのに、家や人間関係、生活が福島にあったから避難しませんでした」「避難して9年。東電の後ろに隠れる国に本当に責任はないのか。『福島』での日常を戻してほしい。国と東電は奪ったもの、与えた傷の大きさを反省し、謝罪してほしい」と話しました。
避難者訴訟は全国で約30件。「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)では、昨年9月の仙台高裁判決が「原発事故は『人災』であり、国に重い責任がある」と認めています。
「生業訴訟」弁護団の馬奈木厳太郎事務局長も陳述にたち、仙台高裁が国と東電の責任を認めたことを強調し、「国と東電の責任に決着をつけ、被害実態に見合った賠償を命じてほしい。被害者、避難した原告のこれまでの苦労に報いる審理をしてほしい」と求めました。
第2回期日は3月17日です。
(2月12日 しんぶん赤旗)