国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」や「伊勢市美術展覧会」など、会場の安全確保を理由にした展示会の中止や作品の展示不許可が相次いでいます。「安全」を口実にした安易な「表現の自由」の規制に識者や作家は危機感を示しています。
「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」は昨年8月、「慰安婦」を象徴する「平和の少女像」などへの抗議や脅迫を受けて中止されました。芸術祭実行委員会の大村秀章会長(愛知県知事)は、「抗議電話が殺到しスタッフの対応能力を超えた。芸術祭全体の安心安全、今後の円滑な運営のために判断した」としました。
三重県伊勢市では同10月、「トリエンナーレの騒動もあり、市民や観覧者の安全を第一に考えた」(市教育委員会)として、市美術展覧会で「慰安婦」を象徴する少女像の写真を使った作品展示を見合わせました。
「KAWASAKIしんゆり映画祭」では、「慰安婦」問題を描いたドキュメンタリー映画「主戦場」が上映中止になりました。主催者は、「トリエンナーレで嫌がらせが殺到したことなど状況の変化は大きかった。妨害など危険を想定して中止した」と話しています。
■ 被害者の口ふさぐ
不自由展中止の余波が広がっていることについて愛知大学法学部(憲法)の長峯信彦教授は、「表現の自由として最も保障されなければならないのは、権力を批判する自由です」と強調します。
「権力者を賛美し迎合する自由を保障しても、そんなのは『猫の缶詰も食べ物であることには変わりない』と言って被災地で猫缶を配るようなもので、憲法上の自由を保障したことには全くなりません」
ただし、具体的危険が明白で差し迫っている場合には、外敵の侵入を防ぐ手立てを講じ、安全性を理由に一時的に会場を閉めることも時には許されると指摘します。「しかし極力、公権力自身がそれらの外圧から表現の自由を守る責任があるのです」
弁護士の中谷雄二さんは、「『安全』を理由に安易に表現を制限すれば、加害者に加担して被害者の権利を制限する問題が生じる」と話します。
本来問われなければならない加害者の責任が問われずに、被害者の権利を抑えつけて事態を進めることになりかねません。
「公権力が加害者の味方をすれば被害者は沈黙させられ、『思想の自由市場』には加害者の思想だけが流れることになります。こんなことが許されていいはずはありません」
■ 市民が声上げよう
一方、昨年の12月19日から今年の1月31日まで韓国の済州島で開かれた展示会「島の歌」では、伊勢市で展示が見送られた作品や「平和の少女像」なども展示されました。
キュレーター(展示企画者)として参加したアライ=ヒロユキさんは、「済州島の展示会で安全面などの問題があったとは聞いていない」と話します。
「日本の権力者は真実に向き合う事を恐れています。価値観を揺さぶられるような事実や作品から目を背けるために『安全』を隠れみのにしている。その口実が社会全体で共有されつつある閉塞感が強まっています。市民や芸術家が声を上げ、表現の自由を守る必要があります」
(2月19日 しんぶん赤旗)