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三菱重工 朝鮮女子挺身隊訴訟 支援の「本社前行動」500回

三菱重工への要請を前に話をする高橋さん=1月17日、東京都千代田区

 アジア・太平洋戦争中、日本の植民地だった朝鮮半島から強制的に動員された女子勤労挺身(ていしん)隊。名古屋の三菱重工で飢餓と過酷な労働を強いられたのに、謝罪も給与の支払いもされていません。彼女たちを支援する会が毎週金曜日に三菱重工本社前(東京・品川)で要請行動を続け、500回を超えました。

 「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」共同代表の高橋信さん(77)は、「行動の中で韓国の市民と日本の良心との輪が大きく広がった」と振り返ります。「真実を発見し、知る喜びに勝る幸せはないと実感できる34年間でした」といいます。

三菱重工との要請に向かう高橋さんと梁さん=1月17日、東京都千代田区

■ 「連行」愛知でも

 きっかけは1985年、名古屋市の熱田高校への転勤です。戦時中、米軍が史上初めて2トン爆弾を投下した場所でした。「航空機生産のメッカ、愛知県でも朝鮮人強制連行があったのではないか」と調査を始め、86年2月に愛知県下朝鮮人強制連行歴史調査班を結成します。同年10月には三菱重工総務課から「殉職者名簿」を借用。これが遺族調査の基になります。

 名簿には、1944年12月7日の東南海地震で犠牲になった当時の工員の名前が記されていました。道徳工場では57人が圧死し、うち6人が挺身隊員でした。高橋さんらは88年12月、名古屋市南区に東南海地震の犠牲者を追悼する記念碑を建立しました。

■ 憲兵に怒られて

 挺身隊員は地震後、富山の工場で働かされ、計17カ月間の給料が支払われないまま、280人余りが帰国。多くの少女が日本軍の性奴隷にされたかのように言われ、結婚できませんでした。

 三菱重工への謝罪と賠償を求める裁判は1999年3月1日、名古屋地裁に提訴したのが始まりです。名簿を基に奔走しましたが、わずか5人しか原告にはなりませんでした。2000年12月6日に3人が追加提訴しました。

 当時13歳~15歳の少女は、校長や教員から「お金ももうけられるし女学校にも行ける」と甘い言葉で誘われました。「大喜びで返事したけど家族の強い反対にあい、学校で行かないと伝えたら、刀をさげた憲兵にひどく怒られ、恐ろしくて印鑑を押した」と陳述する原告もいました。

 少女は朝6時に起床し朝食のあと、寮から工場まで隊伍(たいご)をくんで行進。8時から夕方遅くまで仕事。食事は、ご飯にジャガイモなどが混ざったもの。量は少なく、いつもおなかをすかせていました。

 「仕事がよくできた人は学校へ行かせる」といわれ、行きたい一心で一生懸命働きました。それでも「手が遅い」「用たしに行く時間が長い」と怒鳴られ殴られたりしました。飛行機の翼の型どり仕事で、ジュラルミンの板と一緒に左手の人さし指を切り落としてしまった女性もいます。

 「私たちは、一花も咲かせることなく、傷ついて枯れて死んでいくつぼみのような存在です。枯れ果ててしんでいくハルモニ(おばあさん)に、水と栄養を与えて、残った余生を健康に生きていけるようにしてください」と訴える原告もいました。

 しかし、名古屋地裁は05年2月、原告らの被害事実を認めながらも、「日韓請求権協定」(1965年)を根拠に請求を棄却。名古屋高裁は07年5月、同様の理由で請求を棄却しましたが、国と三菱重工の不法行為を認めました。少女をだまして連れてきた強制連行、自由のない生活や給料を支払わなかった強制労働を認め、強制労働を禁止するILO29号条約違反だと認定しました。最高裁は08年11月、上告を棄却しました。

■ 日韓友好へ早く

 支援する会は、この高裁判決に励まされ、07年7月から金曜行動を開始し、三菱重工に協議に応じるよう求めました。

 金曜行動は韓国にも伝わり、1周年を迎えた金曜行動には韓国の人たちも来日し参加しました。さらに09年3月、光州市で「勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会」が結成されました。

 日本と韓国の粘り強い要請に対し、三菱重工が10年7月、和解協議に応じたため、金曜行動は一時中断、決裂後に再開しました。

 韓国では、名古屋訴訟の原告ら5人が12年10月、光州地裁に提訴し、日本の裁判の主張に依拠して法廷に立ちました。13年11月に地裁勝訴、15年6月に高裁勝訴。18年11月には韓国最高裁が上告を棄却し、謝罪と賠償を認める判決が確定しました。

 「市民の会」の活動が行政を動かし、3道と3市で元挺身隊員の生活支援制度ができました。

 今年1月17日、00回目の金曜行動には、韓国から元原告の梁錦徳さん(91)が市民の会メンバーとともに参加。三菱重工の担当者に直接、要請書を提出することも実現しました。「行動の継続が、三菱との意思疎通のパイプになり、今日の要請に至った」と高橋さん。

 市民の会の李國彦さんは「ハルモニにもう時間はありません。一刻も早く、三菱による賠償と謝罪が必要です」と強調しました。

 梁さんは訴えます。「早く解決してください。問題が解決すれば、韓国と日本は仲良くできる。そのために私は今まで活動してきたんです」

(2月1日 しんぶん赤旗)