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参院愛知選挙区予定候補 すやま初美物語 (下)

仲間のために「みんなの一人」

 大きな転機となったのは、2011年3月11日の東日本大震災です。
 「被災地に行って何かしたい」

震災被災地へ

 
 そう思っても、仕事も忙しくこのままでは被災地に行けない。心が揺れます。体力的にも限界。デザイナーに誇りは持ちつつも商品を多く売るための仕事を一生続けていいのかとも悩みます。「一度リセットしよう」。次の職場を決めぬまま退職を決断します。

 震災・原発事故6カ月後、民青の学生と宮城へボランティア活動に精を出しました。仮設住宅の聞き取りでは「体調が悪いので1日に1回、誰かが私の生存確認に来てほしい」「津波の話をしたくても辛いから周りに言えない。愛知の人が来てうれしい」と言われました。

 家の泥だし、草とりはボランティアでもできるけれど、奪われた生業(なりわい)は、自分たちだけではどうしようもない、と思い知らされました。

 「愛知に帰ってもできることはないか」。実態を知らせたいとの思いから、聞き取り調査結果と参加者の感想の冊子を200冊作り、県内で普及、報告会も開きました。

 名古屋の共産党北西地区委員会の勤務員として誘われ、被災地の体験から「政治を変えないと」の思いが強かったので引き受けます。地域に根をはる党員や市議の活動に接し、議員・候補者への見方も変わりました。弁護士や医者といった?偉い人?がドーンと出てきて立候補するものと思っていましたが、日々がんばっている党員の代表に過ぎない、候補者自身がみんなの一人で、みんなが候補者を支えているんだと実感します。

 今年の県議選で、北区からの立候補要請を受けたとき、夫に「あなたが職場で待遇が悪くなったらどうしよう」と相談したら、「いいよ」と背中を押してくれました。「共産党は、一つの会社ではどうにもならない労働者の使い捨てや低賃金を社会全体で解決するためにがんばる政党。一緒に働く仲間のためにも、がんばれ」と激励してくれました。

若者がチーム

 国政への候補者要請には、即答できませんでした。でも、県議選で市民から寄せられた声は「安倍政権なんとかして」「戦争する国にしないで」といった、国政に関することに集中していたことを思い出しました。「国会議員をめざすことは市民の声にこたえること。矛盾しない」

 すやま候補を押し出すため、県内の若手を集めて「チームすやま」が結成されています。18歳選挙権を視野に若者に共産党のことや政治に親しみを持ってもらえるよう、似顔絵キャラの作製、コアラ登場の候補者動画サイト、たけだ良介比例候補と合同の若者宣伝などを企画しました。

 すやま候補は小牧市在住。戦争法の出撃拠点化が懸念される航空自衛隊小牧基地の近くです。たけだ比例候補と一緒に、基地や戦闘機工場などを調査し、着々と戦争の準備が進められていく様子をつぶさに目にしました。

 戦争法廃止の国民連合政府の提案で各界と懇談していると自民党系の団体からも「安倍政権の暴走を止めるために共産党が抑止力になってほしい」と期待が寄せられました。

 みずからデザインしたポスターとリーフに記した「愛知の若者を戦場に送らせない!」「わたしは若者に希望ある政治をつくりたい」と連日、県内を駆け巡ります。

(おわり)
(12月18日 「しんぶん赤旗」東海・北陸信越のページより)