入党で職場が違って見えた
18年ぶりに参院愛知選挙区での党議席獲得をめざす、すやま初美氏(37)は、広告デザイン会社に勤めた経験を生かし、ポスターも宣伝グッズも自らデザインしています。リーフの見出しを「わたしは若者に希望ある政治をつくりたい」としたのは、社会人時代の体験がありました。
絵が大好きで
すやま候補は浜松市生まれ。4人きょうだいの長女。子どもの頃から絵を描くのが大好き。画塾に通い、学校でも表彰され、地元自治体の緑化キャンペーンポスターにも絵が採用されるほどの腕前でした。
子どもながらに、貧困や障害者にたいする差別・偏見にたいし、「なぜ」と憤りを感じていました。保育園が地域から離れたところだったため、小学校入学時、転校生状態で友だちがいませんでした。初めて友だちになってくれた子は10人超のきょうだいで貧困な家庭でした。周囲からその子に関わるなと心無いことも言われました。
弟が障害をもっていたことから、からかわれることもありました。
父親と一緒に「しんぶん赤旗」配達の手伝いや原水爆禁止世界大会などにも参加しました。
両親は「なんでも自分で選択する子でした。共産党に入党したのも、候補者を決意したのも。みんなは一人のために、一人はみんなのために、一人ひとりの小さな声を束ねて国会でがんばってほしい」とエールを送ります。
民青同盟に加わったのは、愛知産業大学4年生のとき。選挙権を得たので政治のことを勉強してみたい、差別を無くす活動をしてみたいと思ったからです。
デザイン会社
デザイン会社で10年間働いた経験は、すやま氏が政治を変えたいと思った原点です。
会社では新聞広告や商品のパッケージのデザインなどに関わりました。
共産党に入党したのは就職して3年後です。民青で平和、原発の運動に取り組む中で、党に誘われ、自分の働き方がおかしいとの思いもあり、入党を決意しました。
「入ってみたら、おおっとなりました」。目の前の矛盾のカラクリが解き明かされ、職場の風景が違って見えました。
民青や共産党の活動を通じて、職場の同僚への見方も変化しました。仲よしの同僚や先輩を、どちらかといえばライバルと見ていたのです。それがチームで製品を作り上げる仲間、社会をともに変える仲間だと感じるようになり、仕事も楽しくなりました。
連日、終電の仕事。会議室の床で仮眠をとることもある激務の中、すやまさんは、なるべく早く帰れるよう後輩を気遣う頼れる先輩に。
上司から、下請けへの見積もりを安くするよう求められたとき、「彼らが私たちの製品を買えなくなるから、できない」と掛け合っても、「君のいうことはわかるが、その前に会社がつぶれる」と言い返され、一会社だけではどうにもならないと痛感させられます。
リーマンショックを機に職場が過酷さを増します。メンタルの病気で休職する人、すやまさんが育てた優秀な後輩が耐え切れずに職場を去っていく辛い経験もありました。
そのとき出合ったのが志位和夫委員長の国会質問です。「若者を使い捨てにするな」と、大企業を名指しで追及。自分の目の前で起こっていることを話してくれていると、すやまさんにとって希望の光に映った瞬間です。
(つづく)
(12月18日 「しんぶん赤旗」東海・北陸信越のページより)