「学生が犠牲になる戦争は絶対ダメ」「秘密保護法は撤廃しかない」。
愛知県内の青年11人が14日、豊川・豊橋両市の戦跡をめぐり、平和や戦争について考え合いました。
主催は「あいち平和青年ネットワーク」。
今年11月、平和委員会青年学生部、学生自治会連合(県学連)、民青同盟などの呼びかけで結成されました。
事務局の小田前恵子さんは「原水爆禁止世界大会や、青年学生・長崎ツアーのたびに実行委員会をつくるのではなく、恒常的に青年学生が平和や核廃絶について学ぶ会をつくろうと論議になり結成した。」と言います。今回は最初の企画です。
学徒6000人が働いた
案内役は県原水協の安間慎副理事長が務めました。
最初は日本海軍の直営兵器工場だった旧豊川海軍工廠正門(現・日本車両正門)です。戦争末期には勤労学徒6000人を含み5万6700人が働いていました。1945年8月7日、アメリカ軍による激しい空襲に見舞われ、勤労学徒ら死者2500人以上、負傷者1万人以上の犠牲者が出ました。
安間さんが「旧海軍工廠は全国に14か所あり、三重県の鈴鹿や津にもある。すべて戦争末期に米軍の攻撃を受け多くの犠牲者がでた」と説明。すると津出身の大学4年の女子学生が「私の故郷にも戦争の被害地があるとか知らなかった。帰省の折には訪ねたい。来春から社会人になるけど平和運動を続けたい」と話しました。
豊川稲荷裏の犠牲者供養塔の前では、勤労学徒の氏名を見て、女子学生が「大学生ばかりか自分より年下の小学生(当時の国民学校生徒)まで犠牲になった。同じ学生が犠牲になるような戦争は二度と起こしてはならない」と涙声で語りました。
ほかにも勤労学徒の出身学校別の慰霊碑のある諏訪墓地、さらに学校のなかでは最大の42人の犠牲者を出した豊橋市の豊橋工業高校の追悼碑を訪れました。
友人と一緒に参加した農業団体で働く女性は「戦争や平和について学ぶ機会が少ないので、友人を誘い2人で参加した。今日の戦跡めぐりの感想を含め、平和について多くの農業青年に伝えたい」と話しました。
秘密保護法撤廃を
平和委員会の男性は「男子学生ばかりか女子挺身隊や朝鮮人徴用工などが働かされ、犠牲になったのは初めて知った。戦争への道を開く秘密保護法は撤廃するしかない」と語りました。